厳密さに拘る癖に用語の無責任な用法を好み、感覚の庭を耕している

日常と周辺感情

 ここ数日,夕陽を眺めていないような気がする.その理由は僕を包んでいたものにあった.僕を包むもの….生暖かい曇天やふかふかの布団には時間を忘れさせてしまう効能がある.彼らは忘却によって,世界から夕方だけ奪っていく.梅雨入り前の世界はいつもより少しだけ優しくて,苦手なんだ.優しくされることに慣れてないから,どんな顔をして歩けばいいか分からない.ぎこちなく笑って見せても,心の中は氷のように冷たい.

 

 対して,日没前の焦燥感が大好きだ.優しくはないけれど,じわじわと心を焦がしていくような,確かな感覚がある.夕暮れ時ほど衝動的な気分を煽り立てるものはない.身を滅ぼすものだと知りながら手を伸ばした先に浮かぶ夕陽は,煙草の火に似ているかもしれない.吐きたくなるほど独りの僕だが,意地で煙草は吸わずにいる.殆ど無意味な理由が僕を紫煙から遠ざけ続ける.吐息のような,嘘が一片.激辛だけはやめられそうにない.

 

 日が沈んだ後の街で一人,人間が如何に他人に無関心であるかを思い知らされる.そんな冷たくなった後の街を,奇跡の存在を信じて彷徨い歩く.

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都会.

 あの二羽の鳥を眺めていたら,苦しくて泣き出してしまった.こんなことで泣き出してしまう僕は,対極に位置する,誰も使わないようなコンセントのようにひっそりと生きていかねばならないような気がして,また泣いてしまった.

 

 最近の深夜徘徊は「色即是空」という曲がお供です.コンビニの明かりを受けて仄暗く存在を主張する標識を眺めながら,高速道路の街路灯のきついオレンジ色を浴びながら出会ってきた人たちのことを思い浮かべる.空疎な道化のように生きていく他ない我々の一部は,白痴と嘲り笑われ続けるのでしょう.深く深く,哀しみを見つめていながらそれを言葉にしない人々を,僕は愛(かな)しく想う.

 

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 駅前の書店で,もうずっと前から気になっていた津原泰水の本を二冊買った.一瞬だった.本を読むか読まないかは,大抵の場合最初の印象で決めているから,外した試しがない.<ここではないどこか>に連れて行ってくれそうな文章だけが生の慰めなんだ.線香花火やシャボン玉のように美しく儚い場所もあれば,目を背けたくなるほど露悪な場所も.ただ,本当に好きなものしか読めないから僕は文学青年ではない.結局自分の好みで武装するだけのオタクと何ら変わりはない.読み終えていないけれども,津原泰水の「妖都」の出だしを引用してみよう.

 賑やかな街が廃墟の顔を見せる瞬間がある.ふとした拍子にだれもいなくなる.車の行き来も途絶える.真空に放りこまれたように一切の音が消える.動きがやむ.

 都市という巨大な生命が,悠久の果てを夢みるひとときだ.

 遅くとも数秒で街はいつもの姿をとりもどす.路に人がもどってくる.車の行列が素知らぬ顔でやってきてまた去っていく.

 だから静寂に立ち会った者も,すぐその体験を意識からとり払ってしまう.自分が活気と騒音に満ちた世界の住人であるという確信が揺らぐことはない.無数の偶然が重なって,よほど長らく,街の沈黙が続かないかぎり.

 萩原朔太郎猫町を少しだけ思い出した.こちらは廃墟だけれども.旅をするなら,僕は人間の中を旅したいけれど,そうするとカミュのようにきっと"存在を周遊し"てしまうのが,とても悲しい.人と一緒にいる時間は本当に悲しいんだ.せっかくだから,もう一つだけ好きな文章を載せて,それでおしまいにしよう.

 人生は悲劇的でおごそかなものさ.ぼくたちはこのすばらしい世界に招かれ,出会い,自己紹介しあい,少しのあいだいっしょに歩く.そしてたがいを見失い,どうやってここに来たのか,そのわけもわからないうちに突然いなくなる. (ソフィーの世界/ヨースタイン・ゴルデル)