厳密さに拘る癖に用語の無責任な用法を好み、感覚の庭を耕している

日暮里

 夕暮れの似合う街,日暮里.照り付ける日差しを浴びながら,短針半周分の時間を気の合う友人と歩き回った.この日の短針には錘が乗っていたのか日が暮れるまで一瞬だったような気がするけれども,それがこの町の特徴なのだろうか….それとも,楽しい時間は滑り落ちるように過ぎていくものだから,なのだろうか.八月の太陽は何も答えることなく沈んでいった.

 

 日暮里で待ち合わせたのは,谷中にある「ひみつ堂」という名前のかき氷屋に足を運ぶためだった.いつ訪れても大繁盛だと聞いていたので数時間単位で待たされるのを覚悟していたのだけれども,私たちが訪れた日は四十分程度の待ち時間で済んだ.周囲に日除け用の軒などはないため,並ぶにはそれなりの覚悟が必要だろう.他に並んでいた客は日傘の他に,充電式扇風機で涼むなど工夫していた.きっと一昔前なら扇子を使っていたのだろう.歴史の流れを感じるとき,私たち日本人は「風情がある」なんて言い方をする.一見扇子の方が「風情がある」と言われそうなものだが…どうだろう.扇風機は扇子と比べれば歴史は浅いかもしれないが,大衆から羨望の眼差しを向けられていた時代もあったし,事故の防止目的で用意された金属製のガード部分を幾何学模様で装飾してみたり,日本人の職人気質が窺えるものもある.それでも彼らの持つ扇風機に違和感を覚えたのは,その大量生産性にあったのだと思う.充電式扇風機を購入した暁には,ガード部分をアンティーク仕様に改"良"しよう.懐古趣味なんて今日日煙たがられることくらい知っているよ.

 

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ひみつ堂のかき氷,宇治金時

 よく遊んでいるゲームの話や,昔話をしている間に注文していたかき氷が完成した.かき氷を食べるの自体何年かぶりなので,通常の大きさをすっかり忘却し切っていたが,これを食べたらまた数年は食べなくていいような気がして笑ってしまった.蜜はかき氷の隅々まで均等に染み込んでおり,苦過ぎず甘過ぎず,口どけもよい.時間が経つと氷が溶け始めて,飲み物としても味わえる.多少値は張るけれども来てよかったなと思った.

 

 谷中がもつ魅力はひみつ堂だけではなく,その町並み自体にもある.何処か古風な雰囲気を醸し出しながら,見る者の情緒を刺激する下町感.以前,一人で川越を歩いたときの空気と似たものを感じた.なんだか住人全員が意識的に空間の調和を保っているような….例えるなら萩原朔太郎の「猫町」で描かれているような,不安を抱かせるような調和.そんな空気に長く包まれていると,町のもつ意思にそぐわないであろう人間は追放されるのだろう,と思ってしまう.そういえば谷中にも多くの野良猫が住み着いているらしい.はて….

 

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谷中ぎんざ商店街前,紫煙を燻る夕暮れの雲.

 夜空は一日に幕を降ろし一抹の寂寥の後に安寧をもたらす.星に生まれ変わった魂たちが描く空模様は美しい.「死を視ること,帰するが如し」に準えて,「星を視ること,帰するが如し」なんて言ってみたくなる.いつか帰らなきゃいけないと知っていながら,夕陽に染まる町を見つめていると何処にも帰りたくなくなってしまう.僕は僕が星になるまで,夕暮れ刻特有の帰りたくなさを愛していたい.