厳密さに拘る癖に用語の無責任な用法を好み、感覚の庭を耕している

煙草2

 どうしたって鎮まりやしない寂寥感が、四畳半ほどの一室に充満していくのを、無言で感じている。言葉にし難い感情は、言葉にしないまま感じ取るべきだろう。言葉にした瞬間、言葉と感情の間に解れが生じるようにできているのだから、煙は煙のまま尊重していたい。

 空調機の風に吹かれれば一瞬で姿を消してしまうような灰色の領域には、同じ空気を吸う人間しか入れない。蜃気楼への憧れ、幻想への陶酔…。招かれざる客は、いつだって秘密を秘密のままにしておくよう頼まれる。
「どうかこの世界のことは、誰にも話さないでください」
人の数だけ世界があるのだし、煙草の数だけ煙があるのだろう。

 煙草について考えると、いつも観念的な方向に話を展開してしまう。煙草を単なる弛緩剤として扱うのは簡単だが、紫煙の美しく燻り揺蕩うのを眺めていると、それ以上の何かが潜んでいる気がしてならないのである。同時に、その深淵へは永遠に辿り着けず、現象の表面を撫でることすら許されていないのだとも思う。

 与えることも授かることも、押し付けることも奪うこともできない、絶対的な領域。脆く、美しく、そして儚い。世界は触れてはいけないものであふれているから、手のひらからするりとこぼれ落ちていく流体のように生きていかなければならない。掴む腕がなければ触れることはない。空間になりたかった僕は、もういない。新しい風を運ぶ窓のような、世界と世界を繋ぐ存在になりたい。

 嘘じゃないです。嘘です。

 希望にばかり目を向けて、開けてはならない匣を無闇に開けてしまうのは、きっと愚かな行為なのでしょう。理性を重石にして匣に蓋をするのが正しい行いなのでしょう。孤独でなければならないという感覚は間違いなく正しいのでしょう。孤独と引き換えに見返りを求めるのは間違っているのでしょう。それでも、人は間違える生き物です。希望なしには生きていけないのです。

 美しさの宿りうる大地は、いつも渇いている。草木の一本も育ちそうにない砂漠の上で、花を咲かせる空想をしよう。真っ白なキャンバスの上に世界を落とし込もう。文章を綴ろう。音楽を奏でよう。生活の一つ一つが絵になり言葉になり、音になる。正解も不正解もない地平を軽やかに歩きながら、夢と現実の境界線を取り払おう。

 目が覚めると煙は消えていて、また一人っきりになっていた。蜃気楼の向こう側で、僕は硝子板を嵌め忘れた窓枠だった。