厳密さに拘る癖に用語の無責任な用法を好み、感覚の庭を耕している

初めてのナン―周辺記憶

 初めてインド料理に訪れたのは2014年の冬,乾燥した空気と厚着を強いる冷気が身を覆う昼下がり.喉を詰まらせるような失意で包まれていた僕の衰弱を見かねた両親が,近所に新しくできたインド料理屋に誘い出してくれた.幼い頃から好き嫌いが激しく,当時はエスニックな料理に対してあまり良い印象を抱いていなかった.外食で食べるものと言えば,丼モノばかりだったような気がする.そんなわけで,曖昧な返事をして昼食の時間まで,閉め切った薄暗い部屋の布団の中で寒さと,その他の何かに耐えていた.

 

 失意といえるほど,大したことではなかったのかもしれない.その頃PSPで遊べるインターネットゲームに熱中していて,そこで出会った人間と毎日コミュニケーションを取り合っていた.ファンタシースターポータブル2という名前のゲーム.やり込み要素が異様に充実しているゲームなので,幾らでも時間をつぶすことが出来る.戦友の人は,極限の大攻勢にスカルソーサラーやツミキリ・ヒョウリを担いで飛び込んで,サンゲヤシャが出るまで周回した記憶がある,と話せばどれぐらい熱中していたかは想像していただけると思う.もちろんそのゲームの続編も購入して遊んでいた.スピアの,ブルージーレクイエムのヴィジュアルなんか好きだったな.公式のインフラサービスは終了しているけれど,Hamachiなんかでポート開放すればアドホック接続できるだろうから,久々に遊びたくなった人がいたら,声をかけてください.一緒に感傷に浸りましょう.

 

 失意と呼んでいるのは,何のことはない,よく話していた人間からの拒絶だった.長いことログインできなかったことを非難され,久し振りに戻ってきたときに声をかけたら,「二度と話さない」と伝えられてしまった.そもそもログインできなかったのはPSP本体の故障だったのだが,当時の自分に新しい本体を買いなおせるだけの金銭力はなく,破損したと思われる液晶部分の購入すらできなかった.塾通いの僕は食費として与えられた小遣いの一部を,液晶を買えるだけのお金に割り当てることで,戻れるよう努力したがそれでも二か月はかかった.言い訳も弁明も聞いてもらえず,その人は去っていった.ひと月後にはまた話すようになったのだけれども.以来,他人の消失や拒絶,ブロックなどに気が付くと酷く憔悴しパニックに陥るが,なるべく人前に出さないように心掛けている.

 

 他人から見れば些細な出来事だろうが,僕にとっては深い絶望とまで形容できる程の出来事であった.頭を抱えて,何故もっと早く戻ることが出来なかったか,自分の所有物を売り払えばそれは可能だったはずだった,といった後悔から生じる強迫的な考えを敷衍させていく.半ば死人のような形相で,僕は近くのインド料理屋まで両親と歩いていった.様子のおかしい僕を見て声をかけてくれるが,こんな馬鹿馬鹿しいことで憔悴しているなんて知られるのは恥ずかしいし,打ち明けたところで何も解決しないのはよく分かっていたので,両親には何も話さなかった.

 

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Delhi(写真は2019年)

 店の外から既にカレーの匂いが漂っている.漂っているのは匂いだけではなく,幼少期の記憶もふわふわ浮かんでいた.この店が出来る前は,ここにはコンビニがあった.無邪気な妹はこのコンビニの中の影に隠れて,僕のことを驚かせようと飛び出してきたが,全くの別人に飛び掛かってしまって.母さんに僕まで怒られたっけ.今日は妹はいない,妹は僕とは違って不登校ではなく,毎日まともに登校している.妹には内緒だよ,と母さんは話していた.ちょっとした外食であっても,僕か妹のどちらかが欠けていたら不平等だと思うのか,まるで一流のフルコースをご馳走になる気分にさせてくれるように「内緒だよ」という.そんなとき僕は,家族であることを強く実感する.

 

 どうせ店内はがら空きだろう,という偏見を抱いていたが,僕の他にも家族連れで来ている客がいた.店員はフレンドリーだが,若干内装が薄暗く,奥の方なんかは窓もないので僕の部屋ぐらいには光が届いていないように見えた.父と母は本当に仲がいいので,何処にいてもほとんど会話が途絶えない.この日も店内で流れている映像についてお喋りしていたような気がする.ふと,僕に話を振られる.「最近は勉強うまくいっているの」と,母さんから.頑張ってはいるよと,嘘をつく.それ以上は聞いてこないのが,罪悪感を酷く加速させる.赤色の数Ⅲの参考書の中で面白そうな問題ばかり触れ,どうでもいいような力学的・電磁気学的シチュエーションを想定して遊ぶ日々,得意でない英語からずっと逃げ続けていた.この数Ⅲの参考書はなかなかお気に入りで,上原ひろみというジャズピアニストのリリースしたCDの表紙に付いていたシールを張り付けて大切にしていた.「ALIVE」という名前のアルバム.最近はあまり聴いていないが,当時は熱中しており,手元には五枚のアルバムがあった.一枚,一番お気に入りだった「SPIRAL」はピアノが好きな大学の友達にあげてしまった.その頃から,あまり聴かなくなったような気がする.

 

 彼女の音楽はプログレに通ずるところがある.この記事はナンでできているから,プログレについてはまた別の機会に話そうと思うが,一曲だけ紹介することを許していただけるならば,僕は"Return of Kung-Fu World Champion"をお勧めしたい.ラディカルな世界観の中,唐突に一つの遊び心に焦点が移り替わる.悪ふざけに乗じているようで,そうでもしていなければ正気が保てないような…それでいて,遥か高みを目指す流動的であり粘性たっぷりなムーブ.その誰かの必死の抵抗も転落もお笑い話にして,世界は再び加速していく.

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 注文していた料理が届くと,まずその大きさに驚かされた.概念としてナンの存在を認知していたが,皿からはみ出るほど大きなナンを見ると,家族そろってその大きさばかり口にし始めた.大きいね,食べきれるかな.味に対して懐疑的であった僕だが,もちもちしたナンをちぎるのは初めてだったから,それだけで十分楽しく,口に含んだ後はその美味しさを噛み締めていた.初めてのナンはどうやって食べたかな…カレーに浸けて食べるのが主流らしいのだけれど,僕はスプーンでカレーを掬ってからちぎったナンと口の中で絡ませて食べている.浸けるという工程の中に二度浸けに似たものを想起してしまう.自分一人のカレーなのに,何故か抵抗感があるのは不思議だなといつも思うが,その方が落ち着く.スプーンのないお店だったら,まあ諦めよう….

 

 これが僕にとってのナンの原体験,ナン体験である.ナンの話だっけ?ナンの話よりも別のことを多く話してしまったような気がするが,想い出とは得てしてそういうものである.あることについて思い出そうとすれば,その周辺の出来事ばかりが思い起こされる.未開拓の地に訪れて,地図を作るときのことを考えてみてほしい.白紙の地図の上に情報を乗せていく際に,僕らは手掛かりになりそうなものをとりあえず地図に記していくと思う.目的地に至るまでには様々な目印があり…それは常に浮ついて生きている僕のような人間を強く惹きつける.目的地の方は逃げたりしないが,なかなか僕らは辿り着くことが出来ない.やっとの思いで辿り着くと,目的は一瞬で消失する.だから必然的に,ある一瞬よりも,そこに至るまでの過程ばかりが印象に残ってしまう.脳神経科学のことなんて全く知らないから,これは僕の想像.でも当てはまる人も多いんじゃないかな.何かについて思い出そうとするとき,無理にそれに拘る必要はない.それに触れた頃の記憶を頼りに,点ではなく,線を描くような…もちろん面でも構わない.結局は,地ー図なんだな,あ…チーズナン….チーズナンについても,後日書こう.きっと,チーズナン以外の話ばかりするだろうけれどね.