厳密さに拘る癖に用語の無責任な用法を好み、感覚の庭を耕している

祖父の想い出と,死

 ニ,三日前,僕と両親の三人で談笑しながら食事をしていると,父の携帯電話に着信があった.一番最初に振動音に気が付いたのは僕だったと思う.電話に出なくていいの,と聞くと「必要があればもう一度かけ直してくるだろう」と話していた.震える液晶画面には,祖父の家の近くに住む人の名前が書かれていた.それを伝えると,母はすぐに祖母か祖父の身に何かあったのではないかと心配し始めた.不安と緊張がリビングを包み込んでいく.僕の祖父はちょうど学徒出陣の手前の歳で戦争を回避した人だった.戦争の話はしたことがなかったが,父の話から想像するに,戦場に向かう気は満々だったらしい.当時から現在まで祖父はずっと福岡に住んでいたから,この年まで無事だった.今の僕がいるのも祖父が福岡に住んでいたからだ.というのも,長崎の原爆は当初福岡上空から投下される予定だったが,天候か何かの事情で見送りになった,という話がある.度重なる偶然の果てに僕は存在している.父の父としての祖父は,優しくもあり厳しくもあり,大喧嘩をすることもあったらしいが,僕が布団に潜り込んだ後で晩酌を交わしながら談笑している姿は微笑ましかった.

 

 父の携帯電話から振動音が消えると,今度は固定電話の方に着信があった.腰を上げて子機を持ち上げる父.祖父母の家で何かが起きたのが間違いないのは,父の一辺倒な生返事から容易に推察できた.涙ぐんだ声で繰り返される「はい」「ええ」を聞いている間,最初は父の後ろ姿を見つめながら状況を把握することに呈していたが,重たい雰囲気が漂ってくるのを感じると何処を見ることもできなくなり,頭を抱えるような格好でカーペットの上に倒れ込んでいた.祖父が重い肺炎で倒れたという報せだった.肺炎だと聞いたとき,少しだけほっとしたような気がした.自分も体験しているだけに,曖昧な知識が恐怖を和らげてくれた.きっと大丈夫だろうという,根拠なき希望を抱いて祖父の病状について聞くのをやめてしまった.予定していたクリスマス会は中止になり,両親は次の日には祖父母のいる福岡に向かった.

 

 今日,祖父はこの世を去った.精神的に起伏の激しいはずの母から連絡があったことからも,父が感じている喪失感は計り知れないのだと感じている.父は僕の前では,滅多に泣き言を言うことがない.それが見せかけなのかは分からないぐらい,常に落ち着いているようにみえる.父はあまり多くを語らないように見えて,その僅かな言葉の中には優しさや愛が詰まっている.だからこそ,僕の両親は今でも仲睦まじくやっていけているのだと思う.お互いがお互いを尊敬しあう姿を間近で見ていると,僕には父や母ほどには誰かを優しさで包み込むことはできないなと思ってしまう.無論,僕も両親のことを尊敬している.優しさの対価として優しさや,その他の何かを求められたことはない.求められたことがないというのは,強迫的な態度で要求されたことがないという意味で,将来的には住宅ローンの一部を肩代わりしてほしいとお願いされている.優しい人になることは望まれていたけれど,見返りとしての優しさではなく,広く他人に対して配慮のある振舞いをする大人になってほしいというものだった.僕は僕のまま育つことができ,僕は両親が願うように育つこともできた.親と子の関係としては,信じられないぐらい健康的なものであると自負しており,周囲の人々の話を聞くと"一般的な家庭"という区分からは除外されなければならないという感覚を常に抱いている.

 

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福岡の風景

 見渡せば山が見える,そんな場所に祖父母の家は建っている.小学生低学年の夏休みに遊びにいったとき,土手の上からガラス瓶を落として遊んでいたら,割れた破片で骨が見えるぐらいまで足の指を切ってしまったのが懐かしい.それを見かねたおじいちゃんが,吸っていた煙草を足に押し付けた.みんなびっくりして,病院の先生にも怒られていたけれど,たとえそれが最適な答えではなかったとしても,僕は嬉しかった.間違うことを恐れすぎて硬直している人ばかりの現代を思うと,僕はむしろ大胆なほうが素敵なんじゃないかと思ってしまう.

 

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Windows 95

 右下の計算機はIBMのAptivaである.今でこそ自室にあるが,当時は祖父母の部屋に置いてあった.これが何なのか,当時の僕にはよく分かっていなかった.いくつかのゲームに夢中になっていた.キーボードを打つ練習のための「もぐらたたキー」などはゲームとは言えないかもしれないが,幼年期の僕は光った場所を叩くだけでも十分楽しかった.音楽ゲームもボタン式のものが好みなのは,この頃の体験が大きく関わっているのかもしれない.

 

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もぐらたたキー

 

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いかちゃん

 なかでも,一番記憶に残っているのは「いかちゃん」という名前のフリーゲームである.これをどうしてパソコンにダウンロードしたのかは,今となっては分からないが,楽しんでもらいたかったからなのだろう,と想像すると,胸が苦しくなる.とても心が温まる,素敵なゲームです.このゲームは今でもインターネット上でダウンロードできるほか,任天堂3DSでは300円で配信されているので,ぜひ触ってみてほしいです.

 

 祖父母の他に親戚と一緒にご飯を食べに行った日のことを思い出す.親戚の中では僕が一番の最年長であり,父もそうであったから,長男の長男ということでとてもかわいがられていたような気がする.そんな僕が注文した料理が届かないと,店員さんを呼び出して苛立ちを隠せなくなっていた.僕は僕ですぐ不満そうな顔をしてしまう生意気な子供だったので,外食のたびにみんなそわそわしていたそうな.このような祖父の態度を害悪だと捉えるか,寛容な精神で見るか.賛美することはできないが古き暖かさがそこにはあったように思う.

 

 最近は,目を覚ますたびに,死んでしまう日のことを考えているような気がする.何も残らないのであれば,何かを残そうとすることに意味があるのか.自問自答を繰り返し,「楽しい」を常に感じ続けられるよう努めることで,現実が提起する問題の先延ばしをしている.様々なことの中から楽しさを享受できる感性が,あるいは見出せる感性が僕に与えられた最大の才能で,それ以外の能力は殆どおまけなのだと思う.独善的であるから孤立してしまうが,一人で生きることにつらさを感じない.一人でいる生活が四年ほど続いた経験があるからだろうか.友達がいるに越したことはないし,実際何人もの大切な友達が存在する.人間関係にはとても恵まれているような気がするし,一人でも可笑しくないなと思っている僕と仲良くなってくれるのは本当に嬉しい限りです.疲れたり,色々と麻痺しちゃったときには,まあ一緒に笑い合おう.わけのわからなさを分かち合えたら,きっとそこに幸せや楽しさは現れると思う.