厳密さに拘る癖に用語の無責任な用法を好み、感覚の庭を耕している

分からない

 屈折した感情が涙になって溢れ出してくる.滲んだ天井を眺めながら,口を半開きにしたまま,何もできない.物凄い速さで時間が過ぎていく.15分,一時間のⅣ分の一.時間を無駄にしているという感覚はあるが,ある一つのこと以外全く何も考えられない精神状態.決して無気力なわけではないし,死んでしまいたいのとも違う.魂が喉の奥から抜け出しつつあるような感覚.けれども思考は妙に冷たくて,あらゆる過去がフラッシュバックする.山積みになった過去が僕を責め立てる.誰も悪くない.

 赦されたい.僕もまたみんなと同じように赦されたい.しかし赦されることを他人に求めていいのは,他人を赦せる人だけなのかもしれない.僕は他人を赦せる人間なのだろうか?僕の優しさは欺瞞に満ち溢れてはいないだろうか?僕は自分が優しい人間だなんて決して言い切れやしない.そこに僕自身の利己的な判断が介在している以上,優しさだと言えば嘘になってしまう.しかし….「大丈夫」だった人間など人類史全体を俯瞰してみても見当たらないからといって,大丈夫でない僕らに言葉なんて無意味なのだと告げることは優しさなのだろうか?僕には優しさが何で構成されているのか分からない.きっと,言葉にしないことは優しいであるための必要条件であって十分条件でない.十分条件を知りたいのです.論理的でなくとも,例えば神託としてでもいいから十分条件を教えてくれたら,僕はそれを本当に大切な人の前では遵守しましょう.

 しかし,神経伝達物質であるセロトニンの分泌量が「優しさ」を規定するのであれば,と思うと僕はもう優しさを諦めなければいけないのかもしれません.何故なら僕の患っていた自律神経失調症の大部分はセロトニンの分泌指令が上手く届かないことにあるのですから.僕はもう半分くらい「優しさ」を諦めている,というより優しい人間ではないと思うという言い方で未然に他人を傷つけないよう努力しているつもりです.というのも,セロトニンは同じく神経伝達物質であるドーパミンの分泌を制御する役割を持っているのですから.セロトニンが分泌されないということはそれだけドーパミンが制御不能になるということです.ドーパミン過多の人間の脳内はいつも覚醒した状態にあり,独善的な思考を抑えきれないと聞いたことがある.これを事実として受け取るならば,やはり僕は距離を置き続けることでしか他人に優しくできないのでしょうか.僕は,存在をたった一言で蔑ろにし得る可能態として自己を認識し続け,雨曝しになるのを願うことで責任逃れを企んでいるだけなのかもしれない.

 けれども,僕にもやはり一緒にいたいという切実な願いがあり,毎日相反する思考の狭間で苦しみ続けています.

 根本的に出来ないことを望んではいけない,学部四年間かけて得られた命題.根の無い場所に草木は生い茂らないのだから,どれだけ水をやっても意味はない.僕は他人に優しくできない.僕の優しいは全部演技ですから騙されないでください.僕はずっと砂漠に取り残されています.窓を滴る雨水の一滴を,僕は遠く遠く見えない程遠くから….

 恋とか愛とか,僕はそれが人間を駄目にするだなんて思っていませんが,僕には世間一般で考えられているような愛を持っていないのかもしれない以上,不用意に近づいてはいけないのだと何度も何度も言い聞かせなければなりません.このように自分自身を檻の中に閉じ込め続けなければ同じ過ちを繰り返してしまう.それだけはもう絶対に避けたい.

 僕は,自分で自分を赦す術を知らないからこれを抱えて生きていかなければならない.好きで好きでしょうがなくて,なのに嗚咽を漏らしながら零れないように両手で口を塞いで,行き場を失った感情は何処へもいかせない.連続する逆接の中で目まぐるしく流転する,支離滅裂で醜く歪んだ思考.ここだけ.僕を,赦さないでください,赦してください.