厳密さに拘る癖に用語の無責任な用法を好み、感覚の庭を耕している

音楽ゲーム,蒸気嗜好,DP七段

 交通費と食費から捻り出した娯楽費を握りしめ,中型商業施設の奥で辛うじて息づいている粗悪な光の束へ飛び込んだ16の私.四号機パチスロの前には,すっかり丸くなってしまった背中が一列に並んでいた.背負うものが無くても,きっと私たちの背は丸くなっていくのだろう,などと考えながら「自分の番」を待っている.冷たい金属音,覇気のない店内放送,デモ画面の遊び方説明,遠くの方から微かに聞こえる子供の笑い声,漂うの香り…フロア全体が一つの壊れたオルゴールを成しているようで,何だかとても居心地がよかったんだ.今はもう存在しない,行きつけだったのゲームセンターの印象.私を治してくれた音楽ゲームの話をしよう.

 

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私を知らない世界へ連れ出してくれた,大切な想い出.

 

 ゲームセンターで始めて出会った音楽ゲームは,太鼓の達人.中学校の頃だったと思う.今聴けば良い曲だと思える楽曲も,感性が十分に発達していなかった当時の私には全く理解できず「変な曲ばかりだ」と思っていたし,太鼓の達人の上手すぎる同級生を見ると少し「気持ち悪い」とさえ思っていた.このとき抱いていた感覚は,そのまま自分自身に跳ね返り,次に出会ったポップンミュージックを遊ぶのを躊躇わせもした.ボタンを叩く自分の姿を想像したり,音ゲーをしない知人に見られることを考えると今でもほんの少し恥ずかしい気持ちになる.それでも遊び続けていたのは,自分にできないことができるようになることに喜びを感じる気質があるからだと思う.だから,私の場合は楽曲の良し悪しよりも,ノルマを達成できるかどうかに強い関心があったのだと思う.雑な言い方をすれば,山があるなら登りたいという気質.この気質は音ゲーに限らず,あらゆる場所で認められると思うので,きっとこれは私とは不可分なのだろう.

 

 自習室の机と筐体の前で自分自身と向き合い続ける日々.勉学も音楽ゲームも,誰かと競う目的でやっていた覚えはない.それらに触れる人々の表情が素敵だったから,私もその輝きに触れてみたいと思っていただけで.置かれた場所に対する文句はないが,気分次第で咲く場所を変えてもいいだろう.その程度の緩い感覚であったから,受験勉強に対する意欲や,スコアを伸ばそうという意識はさほど芽生えなかった.また,目的意識の欠如が著しく,計画を立てるのは楽しくても,いざ実行に移す段階では別の計画を立て始めていることが多い.そのせいなのか,何時まで経っても好みの系統の問題や,同じ楽曲を繰り返し遊んでしまい,気が付けば乏しい頑健性を嘆いている.楽しければ何でもよかろうの精神でも,あまり長い期間同じ場所に留まり続けるのは苦手らしく,プラトーに陥ればそれなりに柔軟な対応を取るよう心がけているつもりだ.もっとも,全落ちするまで淀み続けた私が言えることでは無いような気もするが….

 

 意識的に避けていたわけではないけれども,他人とは殆ど交流することがなかった.自閉的でありながら,意外と他人と打ち解け合う日々を遠い地平に探し求めていたような気もする.何らかの形で志向性が露見する瞬間,あの瞬間が私は大好きだ.行く先々で,私はその一瞬を見つけることに細やかな期待を抱いていた.幸いなことに,大学の門を潜ると多くの友人に恵まれた.残念ながら学術の領域では,高い志向性を胸に潜めている人間とは出会えなかったように思う.一方で,音楽ゲームでは志向性を持っている人たちと出会えたような気がする.ゲームなんて…と蔑む者も多そうだが,いつか必ず訪れる死の存在を知覚しておきながら,何か一つの物事に熱中できるのは奇妙でもあると同時に素敵なことであるとも思う.そんな彼らの輪の中でいつまで笑っていられるのだろうか.未だに心は少年のままなのだ,と言うのは自由だが,音楽ゲームを支えていくであろう若年層との円滑な交流が,ひと手間加えることなしに行えるとは思っていない.異なる年齢層を無理して繋げる必要はないけれども,かつて存在した潮流やスラング誕生の契機に関心を持つ若者もいれば,若者文化や流行を追いたいと思っている社会人も少なからずいると思う.お互いが尊重し合える形で共存できれば,幸せなんじゃないかな.

 

 これだけ音楽ゲームの未来について考えているのに,高難易度化する音楽ゲームとは相性の悪い蒸気にのめり込んでしまっているのは不思議なことだ.ヴェイパーウェイヴ(Vaporwave).何世代も前のゲーム機に搭載されていそうな音源から溢れ出す音を,不自然に歪めてみたり煙のように拡散させてみたり….はて,ヴェイパーウェイヴとは一体何のことだろう?個人的には,ヴェイパーウェイヴを聴いたことがないという人間は存在せず,今まで聴いてきた音をヴェイパーウェイヴとして認識したことがなかっただけなのではないかと思っている.私たちは日々,空気を取り入れながら生きているわけだ,副流煙を一度も吸わずに生きてきたと言われても信じられない,という簡単な論理.源流を追うのもいいが,せっかく音楽ゲームを嗜んでいるのだから,音楽ゲームから一曲紹介してみようじゃないか.

 

www.youtube.com

 

 Frumsさんの楽曲,"Options".一部では,ヴェイパーウェイヴの良いところを詰め込んだ楽曲であると評価されている.ゲームのモードセレクト画面で流れていてもおかしくないような,ゆったりとした音が包み込んでくれる.一音一音が丁寧に作り込まれており,音と共に空間に融け込んでいくような感覚がある.後半部分では,自我が失われるほどに拡散していくのを成すがままに体験しているような…世界との境界が蕩けすべてが曖昧になったあとの,甘い痛みを和らげる優しい時間が過ぎていく.

 

 Vaporwaveについては,去年聴いて良質だと感じたものをリストにした記事を書いているので,興味があったら次の記事を参照してみてください.

 

hydroyourseason.hatenablog.com

 

 ローテンポなものの多い蒸気波は,現在の音楽ゲームに収録するには難易度の面であまり期待できない.音楽ゲームで広く知れ渡っている楽曲の殆どは,それに相応しい難易度を誇っているから.しかし実験的に,過去のいくつかの楽曲を遅回しにして繋ぎ合わせてみたりするのはどうだろうか?ポップンミュージックの大会,9thKACで新登場した楽曲"Popperz Chronicle"では開幕で,初代ポップンミュージックの名曲"Quick Master"が流れるのだが,流れるやいなや,大会に出場していた選手の手元が感激のあまり震えていた.その姿を見た他のプレイヤーたちも,SNS上で「ポップン愛を感じられてよかった」などと呟いていたので,過去の楽曲を引っ張ってくるのは有効なのではないかと思う.そういえば,現在弐寺で開催されているSHADOW REBELLIONというイベントでは,過去の楽曲に登場したキャラクターが再登場しているが,蒸気波的には都合のいいイベントであるようにも思えるのは私だけだろうか.

 

 結局,ここでも蒸気波について説明できていない.蒸気波の読み方すら定まっていない.先日,ヴェイパーウェイヴを知る人物と対談したとき,蒸気波を「ヴェイパ」と呼ぶのはどうだろうか,という話をしたのだが,なかなか洒落ていて良いなと思ったね.蒸気波,一体それは何なのだろうか.僕にもよく分かっていない,分かっていないが,最近は亡霊的な概念と強く結び付けられないかと,あれこれ思索に耽っている.失うことが失われた現代,世界の所有していた「同じ場所に留まり続ける人間を追放する能力」が失われた,とも捉えられるかもしれない.停滞と言えばまだ聞こえは悪くないが,極度のノスタルジーは最早病と呼んでしまっても差し支えない程に人々を蝕んでいる.読んでいないので分からないのだが,デリダの憑在論を鍵にして,現代の音楽から未来が消えたと主張するマーク・フィッシャーの次の本が気になっている.

 

www.bookbang.jp

 

 この本の対象範囲はポップ・ミュージックであり,Vaporwaveまでは含まれていないようなのだが,マーク・フィッシャーの立ち上げた出版社はVaporwaveに関する思想書"Babbling Corpse"を出版しており,こちらも気になっている.

 

www.goodreads.com

 

 タイトルに"Corpse"と書いてあることから,亡霊とVaporwaveを結び付けようとする試みが生じるのは,自然な成り行きであるようにも思える.亡霊という観点からは,他にも埴谷雄高の「死霊」を題材にして,何か書けるのではないかと踏んでいる.彼の話す,自同律の不快や虚体という概念は,例えそれがVaporwaveと結び付けられるものでなかったとしても,私の心を無性に惹きつけて止まない.虚体が含む「未出現」という概念は,私が想いを馳せてきた「未在」と呼んでいるものに近いものかもしれないと感じた.自同律の不快,自分が自分自身であることによる不快.私は,私は私である,と言おうとした瞬間,私の中で何かが軋む音を立てているのを感じる.なお,自同律の不快と,自己嫌悪は異なるものであると思っている.自己嫌悪は,他者との比較によって生じる,自分が自分でしかないことに関する憤りが原因であり,つまり自己の中の,ある特定の一面を受け入れたくないという意思の発現であると思っている.原因が解消された先では嫌悪も解消され,自己を了承出来ると思われる.一方自同律の不快は,原因が他人にない.ただ素朴に,「ある存在が,その存在そのものである」と宣言すること自体に違和感や不快感を覚えるのだ.私も,可能な限りこの種の宣言から逃げ出したいと思っている.逃走….「他者論」で知られているエマニュエル・レヴィナスは,逃走について次のように述べている.

 

逃走は自己自身から脱出せんとする欲求である.言い換えるなら,もっとも根底的でもっとも仮借なき緊縛,自我が自己自身であるという事実を断とうとする欲求なのである.

レヴィナス「逃走論」『レヴィナス・コレクション』)

 

 作曲に関わる機会があれば,私はきっと自同律の不快を題材にすると思う.この感覚を理解してもらいたいから音にするのではなく,自由帳をクレヨンで塗り潰す子供がしているように,私も音でこの不快を表してみたい.まぁ…前述のとおり,計画を立てるのが楽しくて,コンセプチュアル・アート的と言えばいいのだろうか,脳内で生じる創発現象が楽しいのであって,実際表現されることはあまり目的としていない節があるからな.世界をシミュレーションの土台として扱うと,結果が反映される頃には死んでしまっているかもしれないし,そもそも結果が出力されない無限ループに陥ってしまうかもしれない.脳内で生きている限りは,神託に価するプログラムを神経に流し込んでやるだけでいつでもループから抜け出せる.楽しく生きるコツは,いかにして無限ループを避けるか,にかかっていると思うのだが,どうだろう.

 

 音楽ゲームの話から逸れてしまった.寄り道をするのは楽しいのだ,とてもね…と,また寄り道をしてしまいそうなので,このあたりで先日取得したDP七段について書くことにしようか.それと,そろそろ一人称を「僕」に変えよう.私は僕である,ううん,やはりいまいちしっくりこないねえ.一人称一つで文章全体の統一感が損なわれてしまうのが勿体ないように感じて,必死に「僕」を抑え込んでいたけれど,もう何度も「僕」と書きたくてしょうがなくなっていたんだ.あぁ…言っているそばから僕は….

 

 実は,三月までにDP七段が取れなければDPに触れるのはやめてしまおうと思っていた.遡って弐寺との出会いの話もしよう.弐寺よりも先にBMSとの出会いがあった18の僕には,専コンなどを用意する余裕もなく,キーボードでBMSを遊んでいた.たしか発狂三段までは取れていたと思う.キーボードプレイだったのが原因で,本家に降ってくるスクラッチになかなか対応できず,だったらいっそのことDPを始めてしまうのもありだろうと思い,DPに触れていた.バージョンはスパーダ.およそ5か月ぐらいで六段までは取れたが,その時から七段のワナパには六段以前の誤魔化しが通用しない譜面であると感じていた.六段を取ったところで,受験勉強に本腰を入れるようになり,音ゲーは遊ばなくなった.…と,書いてみたところで,そうではないことを思い出した.使っていたノートPCが偶然壊れてしまったことが原因で,上手に音楽ゲーム離れができたのだった.

 

 大学に合格してツイッターアカウントを作ると,同じく音ゲーをしている人達と繋がり,春の間にBMSを再開した.発狂四段になれたものの,専攻した学問が楽しかったのと,金銭的な余裕のなさが重なり,一年の頃は誘われてもなかなかゲームセンターには行けなかったし,BMSも授業期間はあまり触れていなかった.春休みに入ると,そろそろ自分用のデスクトップパソコンが欲しくなり,バイト探しをしながらBMSを再々開.バイトで得られたお金は,値の張る数学書を買うために用いることもあったが,筐体に吸い込まれていくのが殆どだった.ここで遊んでいたのはポップンがメインで,SPもDPもまだ本腰を入れて遊んでいなかった.一応,DP五段ぐらいまでは体が覚えてくれていたので,少しリハビリしたら取れた.SPを遊ぶようになったのは,二度目の春休み,音楽ゲームサークルの交流会がきっかけだった.バージョンはシノバズ.キーボードしか遊んでこなかった人間に「Reflux」を投げる対戦相手の鬼畜さが,僕は不快に思うよりも,むしろ楽しかった.物量はなんとかなるが,とにかく全く皿が回せないので,どうすれば皿が回せるようになるかだけを考え続けていた.BMSには皿難易度表というものがあったので,これを「灼熱pt.2」と同程度の難易度を誇る楽曲までインターネットで集め,大学の友人から専コンを借りひたすら皿を回し続けた.☆11の皿譜面まではあまり苦労せずに対応できるようになったが,☆12になると全く歯が立たないものばかりで,初めて灼熱に触れたときはBPが400を超えていた.しかし,この年の9月には皿を回し続けた成果が得られ,SP皆伝を取ることができた.それからも皿譜面を練習し続け,一年経った三回目の春にようやく灼熱pt.2にランプが付いた.

 

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<(╹ヮ╹)><YO!

 

 正直,灼熱pt.2にランプを付けるのは無理かもしれないと思っていただけに,とても嬉しかったし,この嬉しさを知っている人々と一緒に笑い合えるのがまた何よりも嬉しかった.灼熱pt.2にランプをつけること,それがSPの目標になっていたので,この頃はまだ未難が180近く残っていたと思う.未難減らしの日々が始まるも,卒論を書き始めなくてはならず,地力A+がハードで埋まる程度までは何とかなったが,地力Sを討伐できる程の精神的余裕はなく,停滞期が続いてしまった.こうも停滞してしまうと流石に面白くなく,触れていなかったDPに手を出してみたくなった.それがよりにもよって卒論の締め切り一週間前だったのはご愛嬌.久々に遊んだDPの一曲目は,SP攻略で記事にもした,思い入れのあるSCREW // owo // SCREW.ハードクリアまで対応している記事なので,良かったら読んでみてください.

 

hydroyourseason.hatenablog.com

 

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野菜攻略法はDPでも通用する

 

 一週間程度でDP六段までは戻ってこれたけれども,やはり七段となるときびしい.ワナパとの,五年ぶりの再会.二月末までに出来る限りを尽くしても駄目ならDPを遊ぶのは諦めよう,そう思わせるほどにワナパは強敵でした.

 

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憎きワナパ,七段の門番.

 

 さて,ワナパを倒すためにしてきたことを備忘録的に書き残しておこう.まずは,今までの運指を反省することから始めた.DPには「ホームポジション」と呼ばれる,安定した指の置き場所が存在するのだが,それが殆ど身についておらず,運指の矯正を意識するようにした.これは誰かの意見を参考にしたわけではないので,必ずしも有効であるとは言えないのだが,帰宅前に適性を上回る難易度の楽曲を触れ滅茶苦茶な運指をしてしまった後で帰宅するのは,あまりよろしくないと思い,特攻したい気持ちをグッとこらえて,その日のラストには適正かそれ以下の難易度の譜面で指の動きを修正するようにした.また,好みの曲を繰り返し遊びたくなってしまう精神を抑えきって,多くの譜面パターンに対応できるように,様々な楽曲を遊ぶように心がけた.さらに,他のDPプレイヤーの意見は非常に参考になるものが多く,ツイッター上で交流をしながら,おすすめの練習曲などに目を通すようにした.それらの結果,DP復帰から一か月で七段を取得することが出来た.

 

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俺が…DP七段だッ!!!

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七段合格時の各譜面のスコアとBP

 

 一応,七段合格時のランプ状況についても書き残しておこうかな.☆7は初見ハードでも落ちないぐらい.☆8も触れば大抵落ちない程度,☆9は易以上のランプが75曲程度,ノマゲはちらほら,ハードも数曲.☆10は易ランプが34曲,灼熱(H)のみハード.☆11は灼熱pt.2(H)のみ易(お皿譜面が好きだよ).そんな感じです.プレー楽曲数は☆7~☆10で300曲程度でした.


 この短期間で目標の七段が取得できたのは,これもまた本当に嬉しかった.個人的にDP六段とDP七段の間には大きな溝があるように感じていたし,なにより,五年間ずっともやもやしていたので….次の目標はDP八段,今作の八段には大好きなGolden Palmsが入っているので,今作のうちに取りたいな.単曲の目標としては,そうだね…DPでは☆11になっているToyCube Pf.(RX-Ver.S.P.L.)弐寺の楽曲の中で一曲選べと言われたら,この楽曲を選んでしまう.感性が揺さぶられて,泣き出してしまうほどに好きな一曲です.元々は家庭用限定の楽曲だったのですが,Rootageで移植され,お気持ちにすぐ届きました.片思いだと思っていたのに,実は両思いだったんですね.あ…"ToyCube from:HydroYourSeason"と検索しては駄目です.検索してもいいですけれど,この楽曲は僕のお嫁さんなので誰にもあげません.最後に,この楽曲へ送った詩を載せて締め括ります.