厳密さに拘る癖に用語の無責任な用法を好み、感覚の庭を耕している

流泉

 流泉は僕が暮らしていた頃と何も変わっちゃいない.駅の看板には馴染み深い花の模様が刻まれている.駅を降りてすぐ目の前に現れるのは,当時広く愛されていた浮力式昇降機.定員は二名.アクリル板で拵えた管に筒状の昇降部が備え付けられており,その管の中に流体を流し込むと浮上していくという仕組みだ.こいつは実用性に乏しく,一往復するのにおよそ五分かかる.それでもなお愛されていたのは,その外装にある.アクリル板の内部には螺旋状に水路を施されており,流体はその水路を滑り落ちていく.清涼感のある水飛沫の音が内部まで広がり,乗客の心を潤してくれるのだ.高校生ぐらいの男女二人組から老夫婦まで,遠い町から遥々この町に訪れては短くも長い時間を満喫し,他の観光地へ旅立っていく.流泉らしいオブジェクトだと,長年住み着いている人は微笑みながら語る.


 流泉という地名は外来語lucentに由来している.技術と芸術の境界が今と比べて曖昧だった時代に,海を越えて移住しにきた異国の技術者が名付け親なのだという.彼の残した手記 ”The tale of Lucent flow” には当時の流泉の風土や情緒が,彼特有の幻想的な世界観を交えて描かれている.僕のお気に入りは ”lucent flower” に関する彼の記録だ.流泉では流泉花という題で手記の一部の内容が御伽噺のように語り継がれている.


 流泉花は流泉にしか存在しない植物だと彼は語り,数枚のスケッチを残している.だが記載されているような色や形をした植物は流泉中どこを探しても見当たらない.御伽噺を信仰する人々は過去には存在したのだと主張するが,存在を証明するような記録も見当たらない.僕は予てより流泉花の存在を直感的に疑っていた.というのも,手記中で流泉花は心情の鮮明さに応じてその姿を変えるように描かれており,名前の通り流動的で透明な存在であるように思えたからだ.彼の手記を注意深く読み進めると一貫した透明性への愛情と,透明であるが故の苦悩が見えてくる.流泉花に関する言及からはそれが顕著に見て取れる.色鮮やかに咲いているとき,花畑の向こう側では感情の交差が描かれている一方で,花弁を散らしているときは全てが理路整然となり,一点の曇りもない事実だけが紡がれている.明白なものに虚しさを抱き,明かされていない不可視領域が見え隠れする場所で安堵する.透明という言葉の持つ二重性を彼は描こうとしていたのだろう.だから町の象徴として利用される流泉花のイラストを外で見るたびに,僕はこの町の住人が手記の内容や彼の詩的感性を蔑ろにしているように感じてしまう.数枚のスケッチは彼なりの皮肉なのだ.

 

 硝子製の漏斗に貼り付いた濾過紙を剥がすような手付きで記憶の扉を捲る.そこには僕が昔描いていた流泉の風景画があった.流泉花と名付けたその絵のどこにも,流泉花を描くことはなかった.夕陽の作る陰影の内部にもきっと流泉花は溶け込んでいるし,曲がり角の向こうでは流泉花が夕陽色に染まっていて僕らの涙を誘い出そうとしているに違いない.

 

 流泉は僕が暮らしていた頃と何も変わっちゃいない.
 僕も相変わらず,ぼちぼちという感じです.