厳密さに拘る癖に用語の無責任な用法を好み、感覚の庭を耕している

ファッション

 インクの切れたボールペンを分解して新しいインクを詰めようとしていると,プラスチックのペン先に隠れている金属製のバネを見つけ出して遊んでしまう.人間もこのバネのように自由自在に伸縮する,冷たい螺旋に過ぎないのだろう.とどのつまり,部品.子供染みた類推を重ねたところで退屈なことには変わりない.だが,私がバネだとしたら,私を包む容器は一体どんな形をしているのだろう?

 

 程よい弾力を指先で感じながら,くの字に曲がらないように,ゆっくりと垂直に力を加えていく.この力の加え方は,他の場所でも感じたことがあるような気がする.平衡状態を意識しながら力を加えるこの感覚,だいぶ幼い頃に….思い出した.小学校低学年の頃,水泳の時間.水面に数枚のビート板を積み重ねて,その上に座ろうと試みたときの感覚だ.何度挑戦してもなかなか上手くいかず,授業終了のチャイムが鳴るまで夢中になっていたなあ.そういえば,プールが苦手な子もいたっけ.水が怖くてどうしても入れないと話していた.そんな子たちはプールサイドの木陰で体育座りをしながら,はみ出してきた水を小さな足の裏でぺちゃぺちゃと踏みつけていた.

 

 水….万物の根源とも取り違えられた,化合物.ひとたび熱されれば蒸発し,大気の一部へ溶け込んでいく.私たちはそんな無味無臭の透明な流体を包み,包まれながら,生きている.人間だって流体みたいなものだろう.乾いた大地を彷徨い歩き,ときには定住して潤いをもたらし,火葬にせよ土葬にせよ,死ねば大地に還る.それをもう何千年も前から繰り返している.姿かたちのない思想を纏い,纏われながら,生きている.生かされている.だが,阿附迎合する人間の営みに引きずられ,思想はかつてあった透明さを緩やかに失っていくのが常だ.まぁ淀み切ったときは,また別の服を着るさ.

 

 ところで最初の疑問,私はどんな服を着ているのだろう?幾ばくかの焦燥で胸を痛めながら,指先に神経を集中させ慎重にバネを縮ませていく.が,思い描いたようにはいかず,バネは勢いよく指先を飛び立ち,視界から姿をくらましてしまった.どうやら着る服のことばかり考えて,中身を疎かにしていてもしょうがないみたいだ.何枚も何枚も着ぐるみを着こなしている人ほど,脱がしてみたら空っぽだったというのはよくある話だ.

 

 部屋中探してみたが,何処を探してもバネが見当たらない.こんなこともあるのかと一瞬戸惑ったものの,私の心は不思議なほどに穏やかだった.もう私は探さなくて済むのだ.そう呟いた瞬間,私の体は螺旋状に解きほぐされ,やがて一本のミシン針へ収縮した.着ることからも,着られることからも解放された私は,嫌になるほど自由だった.